「ネットの作法」を学ぶ -NHKさかなクン問題に関する覚書

インターネットの進歩が声なき一般市民に大きな力を与えた。

WEB2.0と呼ばれるようになって久しいインターネット世界の特徴は、しばしばこう論じられる。

一昔前までは自らの意思を世の中に向けて発信する術を持たなかった弱い個人が、様々なソーシャルプラットフォームを活用して情報を発信していく。”その他大勢”というラベルを付けられ、ただただ埋没していた多くの個性に様々な形で光が当てられるようになったことは、確かに恩恵と言って然るべきだろう。

Twitterの登場によってこのような傾向は強まりを見せ、急激なスピードで流れる情報のうねりの中で実に多様な言葉が飛び交っている。

先日、Twitter上でNHKの公式PRアカウントがさかなクンが登場する当局の番組に関して呟いたTweetと、それに対する視聴者の反応が話題になった。

http://www.yukawanet.com/archives/3150197.html

要約すると、NHKのアカウントが「さかなクン」に対して「さん」など敬称を付けずに呼び捨てで呟いた事に対して複数のTwitterユーザーから批判を受け、謝罪に至ったという事件だ。

別にそこまで騒ぎ立てる事でもないし、クンの後にさんをつけるのは違和感がある。個人的にはそう思うのだが、これについて色々と議論が巻き起こったようだ。


本当に敬称が必要だったかどうかは置いといて、この場面を見ていて少々考えた事がある。これは、インターネット社会で情報を発信していく”旧世界の強者”が抱える課題を克明に描き出した、ある意味で象徴的な事件なんじゃないか、と。


Twwiterなんかを見ていても、これまでは情報を発信するだけだった側がユーザー側に回り、強者と弱者の間の距離はこれまでにないくらい近づいた事を実感する。企業の公式アカウントや有名な経営者に対して罵詈雑言を浴びせる個人は別に珍しくないし、彼らと一般市民のケンカも今では普通の光景になった。

これまで得る事のなかった手痛いフィードバックに急に対応しなければならなくなった彼らは、インターネット世界の「現場」に関する何の経験値もリテラシーも持たない。2chほどではないが、Twitter上でもちょっとしたつぶやきに対して脊髄反射的につっかかってくる輩は少なくない。このようにほぼリアルタイムでなされるやりとりの中で、適切なふるまいをする事がいかに困難かは、実際に痛い目を見ながら学んでいくしかない。


今回のNHKの対応は間違ったものだと思う。謝罪する必要は全くなく、なぜ敬称を略したのか、その裏にあったはずの考察を淡々と述べる事で自体を鎮静化する事が可能だったはずだ。しかし、上で述べたとおり、なんの作法も知らない彼らに正解を求める事は酷である。NHKの中の人は、物凄いスピードで広がっていく思わぬクレームの嵐に萎縮してしまったのだろう。即座に謝罪する事ぐらいしか思いつかなくてもしょうがない。コミュニケーションのスピードが速い事も、この問題を一層深刻にしている。

批判をした面々は、普段からNHKを好意的に思っていなかった人達かも知れない。そういった小さな声、ごくごく少数の外れ値でも、ダイレクトに届いてしまうのがネットの怖さである。どんな音でも拾ってしまう拡声器のようなものだ。どんなにひどいバイアスがかかっていても、それらは情報発信者の目の前に等しく現れるだろう。


旧時代の強者も、ソーシャルプラットフォームの中では単なる1ユーザーに過ぎない。彼らはこれからも痛い目を見るだろうが、それでもその中で「インターネットの作法」を学ばなければならない。彼らは、リアルで繰り広げられる熾烈な争いに生き残るためにWEBに活路を見出そうとした。しかし、ネットはネットで全く異質の厳しい生存環境に晒される事になるのだ。


彼らがネット上でも存在感を発揮し始めるのは、まだまだ先になりそうだ。